晴明塚と道満塚
棚田が美しく広がる大木谷には、平安時代に活躍していた陰陽道の大家「安倍晴明」と「芦屋道満」を祭った塚があります。
晴明塚は、様式や手法から室町時代前期に造られたと思われ、また、道満塚は寛政9年(1797年)に再建されたものです。
(佐用町観光協会HPより抜粋)
塚のほかにも、両者が矢を放って戦ったといわれる「やりとび橋」や、道満の首を洗ったといわれる「おつけ場」などの史跡もあります。
播磨国(兵庫県)の地誌『峰相記』には佐用町が「芦屋道満終焉の地」と記されているそうです。
芦屋道満は道摩法師とも呼ばれ、平安時代の呪術師、非官人の陰陽師です。
陰陽道の祖とされる有名な「安倍晴明」のライバルで、式神対決で晴明に破れて京から播磨へ追放されたらしく、その塚が上の写真右の石塔です。
上の写真左が「晴明塚」正式名称は「いぶし晴明塚宝篋印塔」(佐用町指定文化財)
です。
晴明はライバルの道満と戦うために佐用までやってきたそうです。
1000年の時を経てもなお人々に影響を与え続ける陰陽道。
そのエネルギーは1000年経っても衰えないのでしょうか。
佐用駅から北西に約6km。
連絡先 TEL 0790-82-0670(佐用町商工観光課)